フジヤマ・芸者とライオン・裸族は同じこと

アフリカと言っても、いろいろだ。そして、アフリカと聞いて何を想像するだろうか。

新聞や雑誌、ネットのニュースサイトを見渡すと、日本に伝わってくるアフリカ各国の情報は、深刻な問題を語ったものが圧倒的に多い。

西アフリカでのウイルス感染によるエボラ出血熱の流行は未だ収束を見ず、ナイジェリア北部ではイスラム過激派ボコ・ハラムが殺傷と破壊を繰り返している。カダフィ亡き後のリビアの混乱はアルジェリアやマリなど周辺国にも影響をもたらし、リビア国内では、「イスラム国」(IS)に同調した勢力が、エジプト人を海岸に並べて殺害する映像が流れた。そんな一報を伝えるニュースサイトの画面に表示された広告では、南スーダンで栄養失調に苦しむ子どもがこちらを見つめている。

その一方で、夕飯時に流れるテレビ番組では、青い空の下、原始的な風景が続く。

キリンがアカシアの葉を食み、ライオンがシマウマを追う東アフリカの国立公園。ラクダの隊商が連なるサハラ砂漠。唇に穴を開け装飾品を施した、エチオピアのスルマの女性。赤や紫色の布を身にまとい、長い木の棒で牛を追うケニアのマサイの人々。日本から空路数十時間。厳しい悪路。日本から向かったレポーターが未舗装の小道でスーツケースを転がす姿を映し、「秘境感」を最大限に強調している。

確かに、ライオンもサハラもマサイも、エボラもボコ・ハラムも、アフリカを構成する一部ではあるが、混乱と紛争と、貧困と飢餓と、原始的な生活だけが、アフリカ全域を覆っているわけではない。

アフリカは……と語ることは、そもそも、かなりの困難を伴う。「アフリカ」と言った場合、南北約8000km、東西約7400kmにわたる広大な範囲と、56もの国々全てを指すこととなる。共通点は数多くあるものの、十把一絡げに語るには、あまりにも大きすぎる。

例えば、私が目をつぶって彼の地を思い出してみると、こんな情景が浮かんでくる。

日本と同じように都市部へ向かう道路は、朝夕の通勤客でごった返している。職場では、テレビでニュースを見ながら、パソコンでメールをチェック。その合間に、スマートフォンで家族や恋人にショートメールを送信。通信料節約のため、通話は発信よりも着信のほうが多い。
料理にはたっぷりと時間をかけ、出汁(だし)を効かせる。仕事着はボロくとも、普段着はおしゃれなもの。日が暮れた後の露店のバーからは、一本のビールで友とゆっくりと時を過ごす人たちの笑い声と、大音量の音楽が聞こえてくる。誰もが、それぞれの人生を、それぞれに楽しんでいる。

強いて言うならば、なんでもない日常を淡々とおくる風景が続く地平に、紛争や飢餓や原始的な生活をする人々が、ところどころ点在しているのが、私の「アフリカ」感だ。

アフリカの国々を訪ねるなかで、こんな声を何度も耳にしてきた。

「なにかひとつをもって、アフリカすべてを判断しないでほしい」
「理解が欲しい。同じ人間として見てほしい。あなたの国で暮らす、あなたの友人に対してと同じように」

声の主が感じているのは、先入観を伴った、好奇と憐れみの眼差しを向けられ続けることからくる虚しさだ。また、「こちらから近づいても、離れていってしまう」ともよく聞く。私たちがアフリカを遠ざけてしまっている面があることは、否めないように思う。

反対に、私がアフリカ滞在中に、彼らが感じるような虚しさを抱いたことは稀だった。日本人は柔道ができるはず、のようなステレオタイプは時々あるものの、「あなたの問題は私の問題」と言わんばかりに、まっすぐにこちらと向きあってくれる人が極めて多い。寂しさを感じさせられることのない包容力は、広くアフリカ全域について共通して言える魅力のひとつだ。

日本からは遠くて遠いアフリカの地に暮らす人々のことを、彼らがこちらにそうしてくれるように、隣人のこととして想っていきたい。そう願いながら私は、アフリカ各地の日常における様々な風景と、現地で聴いた声を伝え続けている。「遠いけど近いアフリカ」をめざして。

 

(初出:岩崎有一「フジヤマ・芸者とライオン・裸族は同じこと」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)