砂漠の真ん中でカローラとすれ違う アフリカ道路事情 -1

アフリカの地に暮らす多くの人々にとって、長距離を移動する際の主な移動手段は自動車だ。私も、日本からアフリカ各国に飛行機で降り立ってからは、できる限り国内便の飛行機を使わずに、国境を越えるような長距離の移動であっても、タクシーやバスなどの公共交通機関を使って動き回ることにしている。なぜなら、陸路の移動では、自然だけでなく、人々の暮らしぶりを肌で感じやすいからだ。

南北に約8000km、東西に約7400kmにわたる広大なアフリカ大陸における道路事情は、舗装路、悪路、砂漠など、地域によって様々。今回から3回にわたって、アフリカ各地の道路事情をお伝えする。

モロッコやチュニジア、エジプトなど、地中海に面する北部アフリカの国々においては、舗装された主要道路があり、移動ルートも豊富なため各国内における移動に難しいことはない(政情不安からくる困難さについての説明は、今回は割愛)。一方、これら北部アフリカの国々から西部・中部・東部アフリカの国々へ向けて南下しようとすると、とたんに移動ルートの選択肢が激減する。南下するためには、サハラ(砂漠地帯)を越えなければならない。

あたりまえだが、自動車でサハラを越えるためには、ガソリンと道が必要だ。いずれの要件も満たされなければ、自動車が走行することはできない。一般的な車両が無給油で走行できる距離は長くても4~500km程度。補助タンクを携行するにしても、ガソリンのある街から街へと移動していかなければならない。

道も、選ぶ必要がある。パリ・ダカのようなレース車両ならば柔らかい砂丘も難なく越えられるが、一般車両には限界がある。砂丘はタイヤが埋まりやすく、燃費も舗装路の半分程度まで落ちる。自動車で走行しやすいエリアを絞り込み、ガソリンのある街を結んでいくと、通るべき道も、数本に収斂(レン)されていく。

路面の状況に応じていくつもの支線ができることはあるが、サハラ越えのために現実的に取り得る選択肢を大別すると、西サハラからモーリタニア、アルジェリアからニジェール、エジプトからスーダンへ抜けるルートのいずれかとなる。東西約5000km以上にわたってのびるサハラ砂漠に、自動車で越えられるルートは、たったの3本しかない。

1995年。かれこれもう20年前のこととなるが、私はモーリタニアを抜けるルートをとり、オートバイでサハラを渡った。

モーリタニアのヌアディブという街から首都ヌアクショットまでは、四方を砂丘に囲まれた風景が延々と続く。轍があるだけで、道路と呼べるものは見当たらない。方位磁針をもって闇雲に南下することもできなくはないが、そんなことをすれば、深い砂にタイヤを取られ、いつまでも前に進むことができなかっただろう。サハラに明るくない外国人旅行者の多くは、道先案内人として現地のガイドを雇い、サハラを越えていた。私も他の旅行者と同様、このときにヌアディブでたまたま居合わせたイタリアから4WDのトラックでやってきた旅行者ともに、モーリタニア人の現地ガイドを雇って、4WDに併走しながら一路ヌアクショットを目指した。

どちらを向いても砂と空しかない砂漠の世界は、初めのうちは美しく見える。しかしすぐに、果てしない孤独感からくる心細さのため、美しいと思える余裕がなくなっていった。周囲をどれだけ見渡しても、イタリア人のトラックと自分のバイク以外には、いっさいの人工物を目にすることはない。たまに吹き抜ける風の音以外には、完全な静寂が耳を覆う。こんな風景に長く身を置いていると、この世界には自分たちしかいないとすら感じられてくる。

そんな砂漠の真ん中でも、現地のタクシーとしばしば行き合う。ばっちりの重装備で構えたこちらと違い、彼らの車は古いカローラ。しかも、5人きっちり乗車している。お互いに車を停めると、タクシードライバーは穏やかな笑顔を携えながら近づいてきて、こちらのガイドと握手。挨拶と道の状況説明を互いに交わし合い、私たちとは逆の方向へ向けて、また出発していった。気負いと緊張で吐きそうな気持ちになっている私と、ドライバーの緩い面持ちとの落差は、相当なものだった。

道路も標識も、方位磁針すらなくとも、なぜか、彼らは進むべき道がわかる。

私たちが雇ったガイドは、しばしば車を停めてボンネットの上に乗り、遠くへ目を凝らすことがあった。私にはただ一面の砂にしか見えない風景をじっと見渡し、「次は向こう」と指差す。その方向へ進むと、ふかふかの砂丘を避けた、固く締まった走りやすい砂地が続くのだった。轍がなくなった時も、ガイドの指差す方向へ進むうちに、再び轍に合流することができた。

「あと少しで次の村に着く」と言われたときは、にわかに信じられなかった。あと少しと言われても、依然周囲は砂の世界のみ。「あと少し」を疑いつつバイクを走らせていると、鼻に強烈な何かを感じた。無臭の砂漠で感じる匂いは、異物が入ってきたかと思うほどに強烈に感じる。異物の正体は、水の匂い。しかし、遠く前方に目を凝らしても、何も見えない。10分ほど走ってやっと、遠くに水蒸気でたゆらぐ木々を見つけた。間もなく、オアシスの村に到着。確かに、ガイドの言うとおり、オアシスまでは「あと少し」だった。

現地のタクシーとは、2時間に1度ほどの頻度ですれ違った。私には砂漠にしか見えないこのルートも、現地の人々にとっては紛れもない「道」なのだ。私にはその恐ろしさすら感じられる砂漠の道を、現地の人々は、笑顔を携え、行き来していた。

2006年ごろより、西サハラからモーリタニアへと抜けるこのルートは完全な舗装路となっている。残る2つのルートは依然未舗装だが、もともと硬くしまった路面が続くため、走行の難易度は低い。南へ向かうために大変な思いをしながら砂丘を越えなければならなかった時代は、過去のものとなった。

モーリタニアの砂丘をカローラで越えていたタクシードライバーは、新しくできた舗装路をどう感じているのだろう。あのときと同じように、笑顔で運転しているのだろうか。それとも、走りやすく便利になった分、時間に追われて、眉間にしわを寄せているのだろうか。いつの日かモーリタニアを再訪したときには、サハラ越えの昔話を彼らとしてみたい。

実は今回、ご紹介できるサハラ砂漠縦断時の写真が、一枚もない。

このときサハラを無事に渡り終えた私は、西アフリカを抜け、ザイール(現コンゴ民主共和国)の密林を走行中に、バイクごと橋から小川へ転落してしまった。カバンは完全に水没。撮影済みのフィルムをすべて濡らしてしまっため、このときの写真がない。そんなザイールでのお話も、次回ご紹介したい。

 

(初出:岩崎有一「砂漠の真ん中でカローラとすれ違う アフリカ道路事情 -1」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)