素手で食べると、アフリカが見えてくる

私は、アフリカの国々にいるときは、こまめに爪を切るようにしている。無論、見栄えを気にしてのことではない。

アフリカの国々では、食事を直接素手で食べることが圧倒的に多い。日本のおにぎりのように固形のものであれば、指でつまんで口に運ぶことができるが、こうした米やパンのみならず、液状のソースや煮込み料理も、素手で食べる。爪が伸びていては、爪の間に食べ物がつまり、なんとも心地が悪い。よって、食事を気持ちよくいただくために、私はいつも爪を短くしている。

もちろん、外国人が多く滞在するような施設やレストランであれば、ナイフとフォークが黙っていても用意されるので、爪が伸びていても、素手で食事をすることに抵抗があっても、多くの場合、困ることはない。また、前回ご紹介したアミの食堂のような場所に、私のような見知らぬ外国人客が突然訪れたとしても、周囲で仕事を手伝っている子どもに目配せをし、フォークやスプーンをどこかから見繕って持って来させ、わざわざ紙ナプキンで包んだ上で、さっと提供してくれる。けれども、私は、フォークやスプーンは不要ですよとの意を伝え、手で食べることにしている。
地元民向けの食堂で外国人が食事をするのは、めったに見られない風景だ。よって、例えば、こんな攻防が繰り広げられることとなる。

2002年、私は西アフリカのトーゴを訪ね、アベポゾという小さな村に滞在していた。露店の長椅子に腰を下ろし食事を注文すると、その場にいる人々の視線は私に集中し、こちらの一挙手一投足すべてが注視された。この段階ではまだ、私も露店の店主も、食事中の周囲のお客にも、なぜここに外国人が忽然と現れたのだろうかとの、一程度の緊張感が張り詰めている。

フォークとスプーンを断ると、「あの外国人、手で食べるのか?!」と、さらに注視の度合いが高まる。手を洗うための水差しと桶が私の前に用意され、隣の客が無表情のまま、水差しを取ってこちらに向けてくれる。三々九度の杯に酒を注ぐように、少量を数回に分けて注がれる水を桶の上で受け取りながら、私は両手を揉み洗った。この時点で場の緊張感が若干薄まるが、まだまだ安堵には程遠い。

私は、牛肉の煮込みとその汁を白米にかけ、汁気のある米を指の先ですくって口に運ぶ。しばらく食べ進め、周囲を見渡し、うまい!と親指を立てたところではじめて、周囲に安堵の空気が広がった。店主の女性は笑みを浮かべ、食べる手を止めていた若者は再び食べ始め、老紳士は私を見て頷きながら、口を拭って立ち去る。素手で食事をすることではじめて、少なくともその場においては、私は外国人ではなく、そこにたくさんいる、その他大勢のうちの一人となった。

アフリカの国々の多くの地域では、ただそこにいるだけで、外国人は目立つ。白人やアジア人を目にすることはいくらでもあるのだが、現地の人々が生活する場に分け入ると、外国人を見かけることは途端に少なくなる。食事だけでなく、住環境や商習慣、交通事情においても、アフリカ各地の様式は、日本のそれとは大きく異なる。

私たちの側から見える、アフリカの人々との間にある壁は、高い。しかし、高い壁を少しでも低くすることを願って、私はできるだけ、現地の人々と同じような行動様式を取るよう心がけている。素手で食事を取ることも、そのひとつだ。

トーゴのアベポゾでは、私が現地の食堂で地元民と同じように食事をしていることは、あっという間に村じゅうに知れ渡った。私が彼らの食事を抵抗なく口にすることが知れ渡ったため、アベポゾに滞在中は、多くの村人から自宅の食事に招かれることとなった。外食ではなく、各家庭で家長から幼子まで含む一家全員とともに食事をすることで、私は食事以外の様々な生活様式を目の当たりにして知ることができた。

西アフリカのマリ中部の街モプチでは、大衆食堂で食事を重ねた結果、モプチの街をひとりで歩いていると、「兄弟!」「友よ!」と見知らぬ人からあちこちで声をかけられるようになった。あなたのことを知らないけれど……と返事をすると、先方は、「あんた、あそこで飯食ってたじゃないか。俺たちと同じ飯を食っているんだから、家族のようなもんだよ」と言ってニコニコ顔。食事を終えた後、バイクで私をホテルまで送ってくれた常連客もいた。モプチに住む人々に向けたインタビューも、スムーズにことが運んだ。

現地の食堂を訪ねて素手で食べるだけでも、こちらとあちらの間にあった壁は、ぐんと低いものになる。同じ水を飲み、同じ桶で組んだ水で体を拭い、同じ姿勢で挨拶の言葉を交わすうちに、壁はさらに低くなっていく。一見すると別世界にも感じられるアフリカの風景でも、結局は互いに同じ人間が行っている営みだ。向こう側が見えないほどの高い壁ではない。

南アフリカ共和国では、こんな経験をした。

2009年、南アフリカサッカーW杯の事前取材のため、私はW杯開催地のひとつのブルームフォンテーンという街を訪れていた。取材を終え、人の賑わいを求めて夕暮れの街中を歩き回るも、こざっぱりしたレストランばかりで、どうにもつまらない。すごすごとホテルに戻り、いつも鼻をすすっている受付の女性に愚痴ると、彼女はこう話してくれた。

「ブルームフォンテーンは(アパルトヘイト後も)白人の力が強い街だから、(黒人文化が表に見えないがゆえ)退屈なのよね。」

なるほど確かに、南アフリカの他の街と比べても、ブルームフォンテーンでは白人が多いように感じられる。

「明日もこの街にいるのなら、セバスチャンズ・プレイスに行くといいわよ。あそこは、賑やかでいいところ。こんな街中なんかにいるより、よっぽど楽しいから。」

セバスチャンズ・プレイスのある場所は、ロックランドという名のタウンシップ(旧有色人居住区)にあるとのこと。南アフリカの瀟洒(ショウシャ)な都市間を移動する際に垣間見えるタウンシップは、とても独りで足を踏み入れようと思える場所ではない。周囲は壁や鉄条網で囲まれ、極めて質素な家屋が密集しており、悲惨な生活だけがひたすらに想起させられる。タウンシップと聞いて不安になった私は、独りで訪ねても危険ではないのかと訊ねた。

「あんたたち外国人は、タウンシップっていうだけで、みんな怖がるのよね。あたしたちが普段生活している場所なんだから、大丈夫。あたしも昨日、行ってきたばかり。セバスチャンズ・プレイスは、あんたが独りで行ったって、なにも問題ないところよ」と、鼻で笑われた。

翌日の夕方、まだ陽が落ちる前の明るいうちに、ポケットに一食分程度の現金だけを持って、私はセバスチャンズ・プレイスを目指してみることにした。

街外れの乗り合いタクシー乗り場でロックランド行きの車を探し、ドアを開け恐る恐る乗り込むと、仕事帰りと思しき黒人の乗客が10人ほど乗車していた。外国人が乗り込むことなどそうそうないであろうタウンシップ行きのタクシーだ。

乗客はみな、ぎょっとした目で私を見る。運転手にロックランドへ行くかを確認すると、ロックランドのどこに行くのかを聞かれた。セバスチャンズ・プレイスだとこたえると、乗客全員から、歓喜の声があがった。指笛を吹く乗客さえいる。いろいろなことにまだ半信半疑だった私は、「セバスチャンズ・プレイスは、私一人で行っても大丈夫なところなのでしょうか」と乗客に向けて話すと、声をそろえて「Yeah (もちろん)!」と返事が返ってきた。

タクシーに揺られること20分、セバスチャンズ・プレイスに到着。「ぜひとも、楽しんできて」と乗客から声をかけられつつ、私は車を降りた。セバスチャンズ・プレイスは、多くの人で溢れる、酒屋とレストランとバーを兼ね備えた店だった。

大音量の音楽と、肉を焼く香ばしい匂いが、あたり一面に漂い、人々の笑い声で溢れている。まだ明るい時間帯なのに、店はすでに客でいっぱい。注文をするカウンターには、待ち行列ができている。あたりの客を見渡すと、ビールを片手にソーセージを頬張っている人が多い。私も、同じものを注文することにした。

街中の半値で売られるビールで喉を潤し、焼きあがったばかりのソーセージにかぶりつく。濃厚な肉汁をたっぷりと蓄えた極太のソーセージは、ため息の出る美味しさだった。2本目を頼んで席に戻ってくると、隣の席に座っていた屈強な体つきの中年男性から声をかけられた。

「あんた、ソーセージなんか食べるのか?」

あまりの美味しさに驚いていることを私が話すと、彼は意外な話を続けた。

「南アフリカではかつて、黒人はソーセージを食べるしかなかった。ステーキとなるような部位は白人に届けられるため、捨てられる肉の切れ端や臓物を細かく切り刻み、同じく捨てられる血とともに腸詰にして、しかたなく食べていたものだった。アパルトヘイトが終わり、黒人が同じものを食べる機会を得ても、ステーキを高くて買えない黒人は多い。南アフリカのソーセージは、俺たち(黒人)のための食べ物なんだ……」

改めて、ソーセージの断面を見つめる。日本ではホルモンと呼ばれる部位が細かく刻まれて混ぜられていることに、気づく。どうりで、ジューシーなわけだ。私にとってはご馳走でも、彼らにとっては苦い歴史も刻まれたソーセージであることを知った私は、この国のこれまでの歩みを想いながら、2本目を噛みしめ続けた。

翌朝、ホテルの受付の女性に、セバスチャンズ・プレイスを満喫したことを報告すると、心底満足そうな顔を私に向けた。そして、また鼻をすすりながら、ブルームフォンテーンの歴史を、仕事そっちのけで話し続けてくれた。

――郷に入っては郷に従えとは言えど、簡単ではないし、しんどいことも多い。

それでも私は、こちらとあちらの間にある壁をよいしょと乗り越える努力を、これからも続けていきたい。異なる文化を目の当たりにして感じる壁は、たいてい、自分自身が築いてしまっているものだ。自分で築いてしまった壁ならば、壊すことも、きっと自分できるはず。
壁を乗り越えた向こう側にあるアフリカの懐の風景を、これからも伝えていきたい。

 

(初出:岩崎有一「素手で食べると、アフリカが見えてくる」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)