サハラの海に隔てられたその先に
今回は、少々アカデミックな話から始めたい。
56もの国々を抱えるアフリカは、なにぶん大きく、「アフリカは……」と語ってしまうと、なかなか踏み込んだ話を展開しにくい。よって私の場合、東西南北に地域を分けたり、フランス語や英語といった共通言語で括ったりするなど、論じる話題によって分類分けをしながら、アフリカの総体に迫っていく語り方をすることが多い。
アフリカを鳥瞰する際に、サハラ砂漠を境にし、アフリカ全体を二つの地域に大別する分類法がある。有史以来、アフリカ大陸ではサハラ砂漠が壁となり、二つの地域が隔てられてきた。現在もなおその隔たりの影響は大きい。
ひとつは、北アフリカとされる地域。一般的に、モロッコ、チュニジア、アルジェリア、リビア、エジプト、そして帰属未決の西サハラが含まれる。白い家々が続くカサブランカや、ギザのピラミッドがあるのはこの地域だ。西サハラを国として認めるか否か、スーダンを北アフリカに含めるか否かは、話者の立場によって異なるため、ここでは正確を期して「一般的に」としたい。
北アフリカ以外の地域はすべて、サブサハラ・アフリカ(以下サブサハラ)と呼ばれる。サブサハラは、サハラ砂漠以南のアフリカ全域を指す言葉だ。チョコレートで有名なガーナ、サファリツアーで有名なケニア、2010年にサッカーのワールドカップが開催された南アフリカなど、私たちが「アフリカ」と聞いてイメージする国々は、サブサハラに位置することが多い。
地中海に面した北アフリカの国々は、古代ローマ帝国、イスラム王朝、オスマン帝国など、西欧や中東地域の影響を長く受け続けてきた。イスラム教徒が多いのが特徴。ある程度の地域差はあるものの、全体として乾いた風景が広がっている。
一方、サブサハラの国々は、18世紀にヨーロッパからの入植が始まるまでは、外界との接点に乏しかった歴史がある。また、全体として湿潤な気候が覆っているため緑が多く、大型動物が多く生息している。キリスト教とイスラム教に加え、土着の宗教も広く崇められている。
こうした歴史的・地理的背景からなる文化的な違いは大きいが、もっとも大きな違いは人種が異なっていることだ。北アフリカは「白人のアフリカ」であり、サブサハラは「黒人のアフリカ」であるといえる。
サブサハラという単語は和製英語ではなく、海外でも通用する言葉だが、現地を訪ねても耳にすることはあまりない。実際現地では、サハラ砂漠を挟んで北側と南側に大別して話をする際には、「ブラックアフリカ」「白人のアフリカ」といったように話されることが多い。現地を訪ねた私としては、こちらの呼称のほうがはるかに、感覚的にしっくりくるものがある。そのため本題となる以降の文では、現地の方々に則して、サブサハラをブラックアフリカ、北アフリカをホワイトアフリカとしたい。
と、ここまでの導入部分に千文字以上も要してしまった。そろそろ、本題に移ろう。
ホワイトアフリカのうち、私が過去に訪ねたことがあるのはモロッコと西サハラだけだが、それでも実感として、両地域の違いは大きい。前述したそれぞれの特徴に加え、少々乱暴ではあるが端的に言ってしまうと、ホワイトアフリカでは万事粛々と事が運ばれるが、ブラックアフリカでは何事も奔放な感じがする、といった違いも感じる。モロッコや西サハラに立ってもなお、東西に5千km以上、南北に千km以上にわたって広がるサハラ砂漠を前にして、この先にブラックアフリカの国々が広がっているとの実感は得にくい。
現地の人々にとっても、砂漠の向こう側は、はるか彼方だ。
モロッコや西サハラで、私がブラックアフリカを訪ねたことを話すと、「ブラックアフリカは私たちとは違う。彼らは私たちのように親切ではない。気をつけなさい」と、度々言われた。ではあなたは、向こう側を訪ねたことがあるのですかと問うと、「行ったことはないけれど……」と、もごもご。一方、ブラックアフリカ諸国で、私がモロッコや西サハラを訪ねたことを話すと、「向こう側はアフリカと言うよりは、また別の地域。白いアフリカ人は、高慢なところがある。彼らには気をつけないと」と、しばしば言われる。ここでも私は、ではあなたは北アフリカを訪ねたことがあるのかと返すと、「行ったことはないけれど……」と、やはり、もごもご。
そして、どちらにも共通するのは、「サハラ砂漠を超えるなんて、怖くないの?」との声。「アフリカなんて危なくないの?」と私が日本でよく言われることと、たいして変わりがない。互いに陸続きのアフリカに暮らす人々にとっても、向こう側の知らない世界というのは、不安なものなのだ。
では、ブラックアフリカとホワイトアフリカが反目しあってきたかといえば、そんなことはない。サハラ砂漠が巨大な壁となって南北を隔ててきたことは間違いないが、サハラ砂漠は交易の媒介者でもある。サハラ砂漠は、しばしば海に例えられる。砂の海に続く幾千kmもの交易路を、金や岩塩など様々な物品が行き交い、人々自身も盛んに行き交ってきた。
サハラ砂漠に接する国々を訪ねると、ブラックアフリカとホワイトアフリカが共存していることがよくわかる。
2013年、ブルキナファソからマリへ一路バスで入国した際のこと。マリ側で入国審査を終え、手荷物の検査を受ける段になり、小さな違和感を覚えた。カバンを検査して回る検査官は、口ひげを蓄え、頭に長い布を巻いた出で立ちの白人男性。他の入国管理官はみな黒人だった。これまで黒人ばかりのブルキナファソに滞在していたこともあり、白人男性がこの場にいることを頭の中で咀嚼するのに、少し時間がかかる。
マリは、南北に長い国だ。北部の多くはサハラ砂漠に面した砂漠地帯であり、白人のアフリカ人も暮らしている。ブラックアフリカに位置しようとも、白人と黒人が同じマリ人であることに変わりはない。その当然のことが、極東アジアの島国からやってきた私には、瞬時には飲み込めなかったのだった。
つい先日、アフリカのある国の外交官と話をする機会に恵まれた。相互理解と互助について、そして北アフリカとサブサハラについて、互いの想いを語りあう中で、その人はこう話していた。
「私たちは、(植民地化という)大変な思いを経て独立に至りました。同様の経験を、ほとんどのアフリカの国々は共有しています。ですから、困った国があれば、助けられるのであれば、同じアフリカの者として、常に助ける用意があると言える自分でありたいと、私は常々思っています。(私欲のために)困った国を前にして手を差しのべないなんて、私には考えられません。アフリカの中で争うなんて、無意味なことです。北から南まで、アフリカの国々は、互いに同胞であるはずです」
気候、植生、人種、文化など、どの側面から見ても、アフリカには様々に異なる色がある。それらをすべて束ねて、アフリカと言ってしまうことは難しい。できる限り正確にアフリカを伝えるために、適宜分類して論ずることは、やっぱり不可避だ。しかし同時に、アフリカの人々と言葉を交わしていると、この外交官が語ったような、揺るぎない連帯感を感じることは少なくない。いかように分類しようともアフリカはアフリカなのだとも、時に、思う。アフリカはひとつとの想いに触れたときには、私もまた、「アフリカは」と語りたい想いに駆られてしまう……。
ホワイトアフリカとブラックアフリカは大きく異なりながらも、同じ地続きのアフリカでもある。両方あっての、「アフリカ」だ。
(初出:岩崎有一「サハラの海に隔てられたその先に」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)