深く、優しい アフリカの支払いルール

期せずして、友を傷つけてしまいそうになった。

今年の1月、マリの首都バマコに到着した私は、友人ハミドゥと再会した。具合の悪い叔母を見舞うために、モプチからバマコを訪ねていたのだ。ハミドゥの弟アダマがバマコで1人暮らしをしており、彼は弟の部屋に泊まっていた。

同国中部から北部にかけての取材では、私は、なにからなにまでハミドゥの世話になっている。今回の取材も、ハミドゥにあちこち同行してもらうこととなっていた。彼とともに、同じバスでバマコからモプチへとたつ予定だった。

バマコでの取材をいったん終え、ハミドゥとアダマを訪ねると、アダマがモプチ行きのバスのチケットを買ってきてくれるという。バスの料金を知っていた私は、一人分の金をアダマに手渡した。その金を見て、彼はけげんな表情を浮かべた。

「お兄さんの分は?」

マリでは割り勘がないことを、私はすっかり忘れていたのだった。私は慌てて、2人分のバス代をアダマに手渡した。

マリに限らず、アフリカ各地を訪ねるなかで、誰かと時や場をともにした際に発生した料金を、私は割り勘で支払ったことがない。各個人の考え方や地域性もあるのかもしれないが、私が目の当たりにした限りでは、西アフリカでも中部アフリカでも、東でも南部でも、その場の誰かが代表して支払っていた。

親子や兄弟、社長と従業員など、上下関係がはっきりしている場合は、誰が支払いを担うのかは明確だが、友人どうしの場合はなかなか微妙だ。私とハミドゥの関係においては、チケットを買うべきなのは私のほう。ハミドゥよりも私のほうがはるかに金を持っていることが明白だからだ。持てるものが持たざるものの分を支払うことは、友人という対等な関係においても、ほぼ自明の事柄となっている。

モプチを目指すバスの車中で、ハミドゥは伏せ目がちに、私に話しかけた。

「ユウイチ、僕のバス代を払いたくなかったのならば、払いたくないと言ってね。アダマの気持ちもわかるから、あの時僕は、黙ってユウイチに二人分のチケット代を支払ってもらったんだ。でも、外国人は自分の分しか払わないってことも、わかっている。今後もし、僕の分を払いたくなければ、払わなくていいのだからね」

互いに気心の知れた仲だと思っていたハミドゥと私の間に、バス代の支払いの一件で、うっすらと壁ができそうになっていた。私は、「日本から着いて間もないため、つい日本での考え方で対応してしまった」「もしハミドゥの分を支払うのが嫌ならば、そもそも支払っていないし、そもそも、ハミドゥが嫌ならば、ともに行動していない」ということを、ゆっくりと話した。ハミドゥの顔が晴れていくのを感じとり、私は胸をなでおろした。

今年のマリ取材では、ハミドゥとは約2週間にわたって寝食をともにしている。その間に発生した宿代や交通費、食事代はすべて、私が支払ってきた。

一方、私は彼が費やしてくれた労力に対して、一切の金を支払っていない。

「ユウイチは、マリ人のために、この国の状況を伝えようとしてくれている。ユウイチは、自分の金を稼ぐために、取材をしているわけではない。だから、金はもらえない」

ハミドゥの本来の仕事は観光ガイドだ。何日もの長期にわたって彼の助けを得ている私は、彼の仕事の対価として、微額ながらも報酬を渡そうとしてきた。しかしハミドゥからは、その申し出を断られている。彼はけっして、私にたかっているわけではない。

2009年から2010年にかけて、南アフリカの首都プレトリアとヨハネスブルクを隈なく案内してくれた、現地在住のジャーナリストであるエルビスと行動をともにしていた際も、同様だった。彼が私に施してくれた好意にかかる費用を求められたことは一度もないが、ともに訪ねたレストランやバーでの支払いは、常に私だった。支払いが私だからといって、エルビスが暴飲暴食をしたようなことは、一度もない。

では、誰かと場をともにするたびに、私は財布を開け続けているかといえば、そんなことはない。バーでビールをごちそうになったことは数知れず、出会ったばかりの家族から食事をごちそうになったことも、星の数ほど。「持てるものと持たざるもの」の関係とは別に、「客人と主人」の関係もある。これまでに幾度も、アフリカ各地で、私は客人としてもてなされてきた。中にはたかってくるやからもいるが、私にとっても現地の人たちにとっても、そういった行為は論外であり、たかり行為をするような人は、現地の人たちからはさげすみのまなざしを受けることが多い。

だから、私のことを「友人であると同時に客人である」と思ってくれている人と飲食をともにする際は、なかなか気を使う。

2014年、ブルキナファソのボボ・デュラッソで私は、地元のラジオ局でディレクターとして働くジャンと出会った。たった一晩だったが、互いに意気投合。今年再会を果たし、彼の収録 に同行させてもらうこととなった。途中、腹ごしらえをするために食堂に立ち寄り、私が支払いを済ませた。食堂を出ると、ジャンはもごもごと私にこう言った。

「(支払いをしてくれて)ありがとう。遠く日本から来てくれたのだから、自分が払いたいのだけれど、給料日前なので金がなくて……」

客人をもてなすのは当然のことなのに、それを自分ができないことをもどかしく感じていることが伝わってきて、こちらまで申し訳なくなってきてしまう。彼が支払うのを待ったほうがよかったかもしれないとも思ったが、それはそれで、彼に負担をかけてしまう。財布を開けるタイミング、なかなか難しい。

トーゴのアベポゾに暮らす友人のカムランは、もう少し込み入っている。知り合ってから15年になる仲だが、カムランは私と外食をしたがらない。

「ユウイチはお客さんだから、こちらでもてなしたい。だから、ユウイチと外食をして、ユウイチが自分の分まで金を払うのは、耐えられない」

「その一方で、外食を振る舞う経済的な負担は、残念ながら、自分にとっては大きい」

「また、ユウイチと自分が一緒に食事をしている様子を見た周囲の人々に、『あいつ、外国人にたかってやがる』と思われるのも、極めて不本意である」

「さらには、ユウイチは他の外国人のようにお金をたくさん持っているわけではなく、トーゴにいても質素な日々を過ごしている。日本に戻れば大変な暮らしが待っているユウイチに、金を出させるのは、友人として耐えがたい」

一度にすべてを話したわけではないが、これまでに彼が私に話してくれた心の内を列挙すると、こういうこととなる。よって、カムランは私がどれだけ誘っても、地元の安い食堂であっても、外食につきあってくれたことは一度もない。割り勘でいいから、トーゴのおいしいフフを、一緒に食べたいのだけれど……。

日本に長く暮らす、西アフリカのとある国の友人がいる。彼と知りあってから6年。ビールを飲みながら、互いに冗談や本音をぶつけあうひとときは、本当に楽しい。

飲み終えた後の勘定は、いつも彼がもってくれる。今日は私が、と切り出しても、やんわりと断られてしまう。せめて割り勘でと申し出ると、「アフリカに割り勘はありましたか(なかったでしょ)?」と言って、彼は笑う。

定職につき、家族を養っている彼には、安定した収入がある。私の懐がいつも寒いことも、彼はきっとわかっている。だけど、いつもごちそうになってしまっていて、いいものなのだろうか。

この原稿を書き終えたのは、七夕の当日のこと。

「アフリカには、割り勘はないんですよ」と、日本でもさらりと飲み代を払える物書きになれますように。

 

(初出:岩崎有一「深く、優しい アフリカの支払いルール」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)