神様が与えてくれた「ニジェール川」

西アフリカの内陸国マリで続く紛争の傷跡を、同国北部の町ニャフンケで目の当たりにした私は、定期運行する客船の出発を待たず、小さな資材運搬船に乗ってモプチの町へと引き返した。積み荷のない小舟は、時速10キロメートル弱の速度でニジェール川を遡上(そじょう)していった。往路と違い船のスピードは遅く、景色がゆっくりと流れていく。帰路の旅路では、周辺域に暮らす人々の生活を間近に見ることができた。

ニャフンケを訪ねた帰り道では、客船ではなく資材運搬船に乗ってモプチへと戻った(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

漁業の民ボゾの青年が、小舟に乗って投げ網漁をしていた。全長5メートルほどの船にひとりで乗り、2メートル強の竿で川底をついて船を進めながら、手編みの網を狙った地点に投げ入れる。捕れ高は決して多くはない。1回あたり、7センチほどの小魚が、数匹取れる程度だ。たまに捕れるナマズやキャピタンなどの大きな魚は、売り物として市場へと運ばれるという。

フラニの家並みが遠くに見えてきた。木の枝を組みわらぶき屋根を張り、ござで周囲を囲んだだけの簡素な家は、遠目に見てもすぐにフラニのものだとわかる。フラニは遊牧の民。家畜とともに移動を繰り返すため、彼らの住まいは持ち運びしやすい構造となっている。

この船の全貌。このとき、積み荷はなかった(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

泥壁でつくられた四角い家々がぎゅっと密集し、その中心にモスクの尖塔(せんとう)が頭を出している集落が、時々現れる。船の船頭によると、ソンガイの集落だという。モスクと民家と木立がセットになったたたずまいは、目を引きつける何かがある。そんな集落のひとつで、女性と子どもたちが、川岸で洗濯をしていた。色鮮やかな布が、村近くの川面を彩る。

洗濯を終えると女性は、まとっていた服をその場で取り払い、入浴を始めた。ワシワシとせっけんを泡だて、さっきまで腰にしばっていた赤ちゃんと、自身の体を洗っていた。子どもたちも遊ぶことなく、真面目に体を洗っている。

船頭のアラサンさん(右)。長男も船の舵とりを手伝っていた(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

自動車もまた、川で洗う。川岸に車の前半分を乗り入れ、水をかけ、せっけんで洗い、また水をかける。人の体を洗うのと同じ要領だ。前半分が終わると、向きを変えて後ろ半分もまた、同じように。洗車の様子を眺めていると、こちらもなんだかスッキリした気分になってくる。

スッキリとすることは、他にもある。少年が、川に向かっておしっこをする。川近くの草むらでは、大人の男性も女性も排せつしている。事後のお尻は、川で汲んだ水で拭う。船尾に設置されたトイレも、床板に穴が開けられただけのものだ。排せつしたものは直接、川に流れる。

そして彼らは時に、あらゆるものを洗い流したこの川の水を、そのまま、飲む。

乗船した船に、飲料水はない。船頭は、コップで川の水をすくい、その水をじっと見つめたのち、ぐっと飲み干す。船頭の2人の子どもも、全く同じ所作で、川の水を飲んでいた。

ニジェール川は、「神様が与えたもうためぐみの川」だと聞く。小舟から人々の生活をつぶさに見続けた私には、ニジェール川とここに暮らす人々の生活が、完全に一体であると感じられた。

私たち以外に、首都バマコで社会学を教える大学講師も乗船していた。(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

ほとんどの村々に、電気は通っていない。船に積まれたエンジンと、人々が手にしている携帯電話を除けば、ひょっとすると数百年前からほとんど変わっていのではと思える風景が、ニジェール川の船旅ではひたすら続く。こんな風景に左右を挟まれて進んでいると、例えようのない、不思議な不思議な感覚に陥っていく。

日本のそれと比べれば、極めて原初的な生活と風景である。しかしなぜか、心細く不安な気持ちになることはなかった。シンプルであるがゆえの力強さと、いつもそこにあるニジェール川のめぐみが、私にそう感じさせたのかもしれない。

フラニの家々(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

ニジェール川がもたらすめぐみは、水だけではなく、水路としても長く機能してきた。ギニアの水源からマリ、ニジェール、ベナンを経て、ナイジェリアのギニア湾に注ぐこの大河は、古の時代から、人と物の流れを助けてきた。今も、船の往来が途切れることはない。

ニャフンケを発ってからモプチに着くまで、昼も夜も、周囲に船の姿を見ないことはなかった。個人所有の小舟から、漁船、資材運搬船、大型客船まで、なんらかの船と常にすれ違い、並走し、追い抜き追い抜かれ続けた。自動車が一般的な輸送手段となった現在でも、水路としてニジェール川がこれほど利用されていることは、私には意外な発見だった。

穀物を臼でつく女性たち(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

私たちが乗船船の持ち主である船頭のアラサンさんは、大型客船で荷物の担ぎ手として働きながら、船の扱いとニジェール川の航行の仕方を学び、この船を買って独り立ちをした。以来、マリの首都バマコから同国東部の町ガオまでの間を、荷物を乗せて行き来している。

仕掛け網で魚をとるボゾの民(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

船にエンジンを載せたのは、実は数年前のことだという。それまでは1000キロメートルを軽く超える距離を、竿1本で行き来していたらしい。

船には、長男と次男が乗船していた。ふたりとも、エンジンの出力を調整したり、交代で舵をとったりと、寡黙に仕事をしていた。子どもたちが進んで船の仕事を手伝ったのか聞くと、アラサンさんは「今でもグチばかり言っています。若者というのはそういうものですよ」と言いつつも、どこか誇らしげに見えた。

川岸の家並みとモスク。ニジェール川に見える風景には、「悠久」という言葉がふさわしい(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

マリ北部の紛争でアタラも一度、襲撃を受けている。武装勢力の一派MNLAが村を襲い、停泊している船に片っ端から油を撒き、火をはなっていった。船が、この村の収入を支えていることをわかっていたからだ。たまたま帰宅していたアラサンさんは、「この船は仕事で使うものではなく、家で個人的に使うものだ。だから火をつけないでほしい」と頼み込み、難を逃れたという。

時には他の船と隊列を組んで進むことも(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

この一件があって以来、アラサンさんは、自分のIDカードに記載される職業を、河川輸送から農業に変えた。万が一にも再び襲撃されることがあった場合、自分は農家だと示すことで、船を守るためだ。

モプチ以北の陸路の往来は、紛争が始まってから激減している。川岸の村々も、襲撃された。それでも、ニジェール川の往来は、かつてよりは減ったものの、今も健在だ。

日が暮れてもなお、航行は続く(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

マリ北部の主要な都市では襲撃と占領が繰り返されたが、ニジェール川が制圧されたとの話を、私は聞いたことがない。神様が与えたもうたニジェール川は、依然、神様の手にあるのかもしれない。

最上部写真キャプション:両岸にマリの人々の生活を間近に見ながら、船は進んだ(ニジェール川・マリ 2016年/Niger River, Mali 2016)

(初出:岩崎有一「アフリカで出会った神様が与えてくれた川」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)