ドゴンのマスク・ダンスを訪ねて
マリ共和国といえば、これまで、西アフリカの観光拠点たりうる国だった。
金や岩塩の交易で栄えた砂漠の都トンブクトゥや、泥で作られた雄大なモスクを抱えるジェンネの古い街並み、そしてドゴン族の集落が崖に沿って続くバンディアガラの断崖は、世界遺産として登録されていることもあり、これら名所を目指す多くの観光客を迎えてきている。
2014年にマリ中部のモプチで取材を続けていた私は、ハミドゥという名の男性に、仕事を手伝ってもらっていた。ハミドゥの出自は、あのドゴン。あまたの観光客を魅了してきた世界遺産「バンディアガラの断崖」がある地が、彼の故郷だ。
モプチは、バンディアガラの断崖を目指す観光客が拠点とする町だ。私のモプチ滞在中、同じ宿にやってきた観光客のめあては、やはりドゴンの地。ドゴンダンスと呼ばれる、ドゴン族の人々が様々な仮面とともに舞う踊りを見ることが目的だった。
私はこれで4度目のマリ滞在となったが、これまでにバンディアガラを訪ねたことはない。私も観光客とともに、ハミドゥ率いる「ドゴンツアー」に参加することにした。
アフリカをイメージしてよく思い描かれる情景のひとつとして、半裸の人々が様々な衣装をまとって踊る光景があげられる。確かに、アフリカ各地に地域固有の踊りや祭りはあることは事実だが、そうそう簡単に見ることはできない。祭りであれば開催時期が決まっている。また、一国の全土で踊られているわけでもない。アフリカの人々が民族衣装ともに舞う姿を目にするには、時期も場所も狙いすました上で現地を訪ねる必要がある。 日本で例えるならば、全国で通年、阿波踊りが踊られているわけではないし、本場の阿波踊りを見るためには、その開催時期に四国まで行く必要があるのと同じことだ。
しかし、ドゴンダンスについてはちょっと状況が異なる。
ドゴンダンスが観光客に有名になった理由のひとつは、貴重な現金収入として、ドゴンの人々が観覧料と引き換えに古からの踊りを舞うようになったからだ。バンディアガラを訪れる必要はあるが、観覧料を払えば、基本的には時期を問わず、この踊りを目のあたりにすることができる。また、ドゴンの村々を訪ねるトレッキングも、多くの人気を集めてきた。断崖に張り付くように築かれた古い集落を見ながら、田畑と小川が交互に続く風景を横切り、満天の星空のもと、土作りの家屋の屋上に蚊帳を張って眠る。そんなトレッキンングとともに、ドゴンダンスは「ドゴンツアー」としてパッケージされている。
私たちは、ダガ・ティレリという地点までタクシーで移動し、なだらかな岩肌を1時間ほど歩き続けると、視界が開け、岩肌の先が空になった。バンディアガラの断崖だ。ハミドゥの後を追って崖を降りていき、ティレリに到着。用意された昼食をとっていると、太鼓の音が聞こえ始めた。太鼓の音は、歌い手となる長老と、踊り手の男性たちの、集中と高揚を助ける役目を担っている。私が広場へ場所を移すとまもなく、ドゴンダンスが始められた。老人たちの歌声にあわせ、様々な仮面をつけた男たちの踊りが、40分ほど続く。その後、それぞれの仮面についての詳しい説明が重ねられた。例えば、「猿は人間に果物(この文脈においてはバオバブの実のこと)をもたらす動物(よって、人間に有益なものがどこにあるのかを知らしめてくれる動物)です。猿は人間がこの地(バンディアガラ)を訪れる前から住んでいた先駆者であるため、敬うべき存在なのです」といった具合だ。
ドゴンの踊りは本来、死者の魂を弔うための儀式だが、私を始め来訪者のために催される踊りには、もちろん葬送儀礼としての強い意味は込められていない。それでも、彼らの踊りに、こちらを興ざめさせるようなビジネスの匂いを感じることはなかった。老人の唄の声色にも、男たちの踊りにも、重い力強さと迫力があった。そして、丁寧に重ねられる説明を自分の頭の中で総括すると、おぼろげながらもドゴンの世界観を浮かび上がらせることもできた。
古の時代から続く世界観と現在でも続けられている素朴な暮らしぶりを同時に知ることができるドゴンツアーは、確かに、西部アフリカ観光のハイライトのひとつと言っても過言ではないものだった。
バンディアガラでは、ノンボリという村で一晩を過ごした。この村の長老にご挨拶をしたところ、こんな話をしてくれた。
「北へ行ってはいけない。北はまだ、安全ではない。北へ行ってはいけない。」
「自分(たち)とは異なる人と、戦ってはいけない。戦うことは解決にならない。話し、相手を理解するよう努めなければならない。」
2012年にマリ北東部で起こった紛争は、今も続いている。その影響により、この国を訪れる観光客は激減した。ノンボリで宿を経営する方の話によると、この宿だけでも年に2000人はいた観光客が、2013年には3人にまで落ち込んだとのことだった。
この紛争は、北部による南部からの分離独立闘争だとの文脈で報じられることもあるが、自身の取材を通して、私はそのようには捉えていない。腕力をもって分離独立を唱えているのはごく一部の勢力だ。マリ国内には、バンバラ、ソンガイ、ボゾ、トゥアレグ、そしてドゴンなど多くの異なる民族が暮らしているものの、ノンボリの長老が語っていたように、力による衝突が生じないよう互いにはからい合いながら、マリの人々はこれまでうまく共存してきた。
マリ北部の紛争がもたらす、西部アフリカ全体への負の心象は大きい。マリだけが原因なのではないが、西部アフリカを訪れる外国人旅行者は、ずいぶんと減ってしまった。
マリが再び、西アフリカの観光拠点となることを、私は心から願っている。
(初出:岩崎有一「ドゴンのマスク・ダンスを訪ねて」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)