アフリカを巡るには陸路に限る! アフリカ道路事情 -3

ケニアの首都ナイロビは、高層ビルが立ち並ぶ大都会だ。
街のあちこちに設置された「稼働する」信号機、窓ガラスの割れていない自動車、ヘルメットをかぶったバイク乗りなど、日本ではごくあたりまえの光景が、中部アフリカを越えてきた私の目には、眩しい。

こんな冗談話を聞いたこともあった。

「ナイロビから南アフリカのケープタウンまでは、メルセデスがあれば1週間で行ける。」
ナイロビ・ケープタウン間は直線距離でも5000kmはあるため、1週間で走りきることはほぼ不可能だが、この冗談の主旨はよくわかる。ケニアから先、南アフリカにいたるまで、東部・南部アフリカの国々における道路事情は、基本的に極めて良好だ。道がいいだけではない。24時間営業のコンビニが併設されたガソリンスタンドが点々とあるため、人も自動車も、補給には事欠かない。西・中部アフリカでは大変だった国境を越える際の手続きも、東・南部アフリカの国々では淡々と進むことが多い。この冗談の通り、程度のいい車さえあれば、移動に苦労することはないはず。

ところで、アフリカと言えばライオンやシマウマがあちこちにいるイメージを持たれがちだが、このような大型の動物を偶然目にすることは、そうそうない。野生の大型動物が多く住む国と地域はそもそも限られており、大抵は保護区とされ、国立公園に指定されている。所定の手続きを取って、こちらからその公園内へとわざわざ出向かなければ、ライオンやシマウマにご対面することはまずできない。

そんな中、ケニアやタンザニアは例外と言えよう。両国が抱える国立公園は果てしなく広いので、公園内を国道が横切ったり、公園の境界線を道がかすめていたりすることがある。そのため運が良ければ、大型の動物たちに出会えるかもしれない。

遡ること20年前の1995年、ザイールの密林を抜けてケニアに入った私は、ナイロビに向けてバイクを走らせていた。ケニア西部にある国立公園のナクル湖畔近くにさしかかり、国道から湖の方に目をやると、ピンク色のなにかが湖面を覆っていた。よく見ると、数え切れないほどのフラミンゴが休んでいたのだ。生まれて初めて見るその佇まいの美しさに見とれていると、フラミンゴが一斉に飛び立った。ピンク色の湖面が空へ向かって溶けていくようだった。

ケニアを発ち、タンザニアの首都ダルエスサラームに近いミクミ国立公園を横切る国道を走っていると、たびたび、シマウマとキリンを目にした。象を見かけたこともあった。はじめは1頭しか見えなかった象が、2頭、3頭と増えていく。そのうち、数頭まで増えた象の群れのうちの1頭が、なぜかゆっくりとこちらへ向けて歩みを進めてきた。近づいてくる象の様子を見ていたが、警戒心が強い象のことだから群れを守るために、襲ってくるのではという思いが頭をよぎり、もうこちらは我慢の限界、アクセルを開けて逃げ出そうというところで、一台のトラックが横切って行った。トラックに驚いた象は、いそいそとまた草原へと戻って行ってくれたので、なんとかその場を乗り切れたのだった。

ジンバブエから先、ボツワナ、ナミビア、そして南アフリカといった南部アフリカの国々は、完全な車社会だ。自動車は人々の生活に、完全に溶け込んでいる。真っ平らに舗装された国道を、ピカピカに磨かれたセダンが、路面を滑るように走り抜けていく。まるで自動車のCMに登場するような、絶景を抜ける道が、どこまでも続く。

南部アフリカの国々の道を行く自動車は、かなり飛ばしていることが多い。安いレンタカーを借りてゆっくり走りながら南アフリカを取材していた際に私は、何度となく後ろからあおられた。仕方なく時速120kmで走行してもなお、次々とこちらを抜いていく。南部アフリカの一般道では、前にも後ろにも、注意を払い続ける必要があり、日本の高速道路を運転するような感覚が必要だ。

完全な車社会と書いたが、すべての世帯に満遍なく自動車が行き届いているわけではない。この地に住み着いた白人入植者とその一族と、アパルトヘイト後のビジネスチャンスを掴んだひと握りの成功者を除くと、自家用車を持つことが難しい人々は数多くいる。車を持たない人々の足は、乗り合いタクシーだ。

私も、南部アフリカの乗り合いタクシーを利用したことがある。

2010年に、サッカーの南アフリカW杯の取材のために同国を訪ねていた私は、長距離バスの乗り換えをするために、アッピントンという街のホテルに泊まっていた。W杯最終日をケープタウンで過ごすことに決めていた私は、ここからケープタウンまでのバスを探すも、ここ数日は満席とのこと。すごすごとホテルに戻り、女性支配人になにか他の術がないかどうかを持ちかけた。

乗り合いタクシーでもよければ探しましょうと、彼女はあちこちの知人に電話をかけまくり、やっとのことでタクシーを見つけてくれた。ホテルの前にやってきたのは、フォルクスワーゲンのバン。このタクシーで、私はケープタウンを目指すこととなった。

南アフリカの長距離乗り合いタクシーは、なかなか良くできた独特のシステムだった。

乗客は、タクシーの運転手の携帯電話に連絡をし、乗車日時と人数を伝える。タクシーはそれぞれの乗客の家まで出向き、客を乗せていくのだ。

南アフリカの街の佇まいには、今もアパルトヘイト時代の名残が見られる。街の中心部には欧風の市街地が構え、その街を中心とした同心円状に、旧有色人種居住区だったタウンシップが点在して、ひとつの都市が形成されているケースが多い。ここアッピントンでもそうだった。コンクリート剥き出しの壁にトタン板を乗せただけの質素な家々が延々と立ち並ぶタウンシップを順にめぐりながら、乗客を乗せていく。家族と抱き合い、お母さんが腰巻から出した餞別を手渡し、また抱き合っている。そんな光景をいくつも重ねるうちに、ひと通りの乗客を拾い終えてアッピントンを出る頃には、日が傾き始めていた。

街を出てからは、とにかく飛ばす。街から街までの距離と移動時間で時速を計算してみると、なんと時速130km。私の迎えに座っていた女性は、「あたし、タクシーは嫌いなの。ものすごくスピード出すでしょ。事故が多いのよ」と話していたのにも頷ける。

爆走を続けたタクシーは、深夜0時ごろ、漆黒の闇の中で突然停車。何事かと驚いていると、間もなく反対車線からやってきたタクシーも停まり、こちらの運転手とあちらの運転手が乗り換えて、また爆走を続けた。どうやら、運転手の守備範囲が決まっているようだ。

ケープタウンの手前170km地点の街ピケットバーグのガソリンスタンドで、タクシーはまた停まった。私たちのタクシーの周りに、続々とタクシーが集まってくる。6台のタクシーが集まったところで、ケープタウンのどこへ行くのかを、各乗客が聞かれた。ケープタウンは大きな街だ。東京と言っても渋谷と町田と青梅がそれぞれ離れているように、ケープタウン周辺の街々まで含めてまわるとなると、車一台では、一巡するだけでも半日はかかる。そのため、遠方からケープタウンを目指すタクシーがいったん集まり、行き先ごとに乗客を振り分け直して、最終目的地まで向かうのだった。

ピケットバーグから私たちのタクシーに乗りこんだ仕切り役の中年男性は、極めて怪しげな風貌だったが、彼の対応は実に紳士的なもの。まず、不安がっている少女たちを目的地へ届け、次に疲れ果てた年配の男性を下ろし、続いて中年女性数人を各戸へと送った。その間一度も、余分な金銭を乗客に求めたことはない。車内には私を含む男性ばかりが残ったところで、「次はあんたの番。どこだっけ?」と聞かれる。「ロングストリートの……」と言いかけたところで、彼はすぐに運転手に指示を出した。目的の宿の真正面に寄せられたタクシーを降り、私は車内に向けて親指を立てた。運転手も仕切り役の男性も、残った乗客も、皆がニッと笑顔で、私に親指を立ててくれた。

とかく治安の悪さについて語られがちな南アフリカのタウンシップだが、そのタウンシップを結ぶタクシーは、確かな連携プレーのもと、実にシステマチックに運行されていた。そして、ドアの開け閉めから降りる順番に至るまで、終始ジェントルな対応だったことが、今も心に強く残る。タクシーがこんなに紳士的なのだから、タウンシップに暮らす人々の多くもまた、きっとジェントルな人々に違いない。

* * *
サハラでは道なき道をカローラが行き交い、西アフリカでは人と共に生きた鶏を積んだ高速バスが疾走していた。チャド・スーダンではトラックの隊商が数千kmの道のりをかけて物資を運び、ザイールの密林下の悪路には時速4kmの速度でコカコーラを運ぶトラックを見た。そしてケニアやタンザニアでは、自動車と野生動物が並走し、南アフリカでは激走するタクシー・リレーが、正確にジェントルに、人々を街から街へと運んでいた。道の表情をひとつ取っても、「アフリカ」と一括りにしては語りきれない多様さがある。

それでも、アフリカの人々と話をしていると、「私たちアフリカ人は……」「ここアフリカでは……」と話されることがある。国境は後になって引かれたものであり、国籍が異なっても同じ大陸に生きる仲間であることに変わりはないとの意が、行間から伝わってくる。ここで言われている「アフリカ」は、私たちが十把一絡げに「アフリカ」と呼んでしまうこととは、全く別の文脈で語られているものだ。突然に漂う悠久の歴史観や連帯感に触れると、私は今でも、ちょっとたじろぐ。
地中海から砂漠と密林を経て喜望峰に至るまで、アフリカの道は、途切れることなく繋がっている。そして、アフリカに暮らす人々も、この道を通じて互いに繋がっているのだと想うと、彼らが言う「アフリカ」に、ほんの少しだけ、近づけたような心持ちになる。

アフリカの旅は、陸路がいい。

 

(初出:岩崎有一「アフリカを巡るには陸路に限る! アフリカ道路事情 -3」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)