なぜ南アフリカがアフリカ最大の観光見本市を開催するのか?/後編

前編からつづく

確かに数は少なかったが、他国からの出展者の声に耳を傾ければ、共生の相乗効果へのヒントがいくつもみられた。例えば、モザンビーク。観光地としてモザンビークを見たことはなかったと話した私に、モザンビーク観光協会のマムデ氏はこう答えた。

「わかります。確かに、観光地としては知られていませんよね。実はモザンビークは、ビーチと美しい山並みとワイルドライフが近接しているため、すべて同時に楽しめる国なんです。南アとも国境を接しているので近いですし」

南ア観光に関心を持った人にモザンビーク観光の魅力を促すことは、モザンビーク単独でアピールを続けるよりも、簡単で効果的なはずだ。これは、共同開催の分かりやすい効果のひとつと言えよう。

SADC域内の観光を促進するために作られたRETOSA(南部アフリカ地域観光機構)は、金銭的な問題解決の可能性をみせてくれた。ナミビアやボツワナといった以前から多くの観光客を要してきた国々でさえも、1企業として出展するのは金銭的な負担が大きい。そこでRETOSAは共同ブースを設置し、ナミビア、ボツワナ、モザンビーク、コンゴ民主共和国といった国々はそこに出展をしているのだ。それぞれのブースはこぢんまりとしたもので、他のブースと比べればやや寂しげではあったが、話しかければ揚々と自国における観光の魅力をそれぞれに語ってくれた。南アから遠く離れたECOWAS(西アフリカ経済共同体)加盟国やEAC(東アフリカ共同体)でも、同じ手法を試みる価値があるように感じた。

コンゴ民主共和国からは、首都キンシャサが単独で出展していた。ザイールからコンゴ民主共和国へと国名を変更した後も、長く内紛と混乱が続いた現在のコンゴ民主共和国に、私は観光地としてのイメージを持てずにいた。

「今までは悪い話ばかりでした。もう今は、何も問題ありません。危ないこともない。幸せしかありません。5年前から観光業が復活してきました。ビジネスも好調です。かつて週に一便だった南アからの飛行機は、日に一便にまで増えました」(当ブース代表のセルジュ・マトンド氏)

コンゴ民主共和国の全域が危なくないとはにわかに信じがたいが、キンシャサは落ち着いているのだろう。国を前面に出しにくくとも、都市を前面に出した観光誘致は、マリのバマコなど、自国内に不安定な地域を抱える国々の都市においても参考になりそうだ。

偏見の克服に力を入れるアクティビティも見られた。「世界で最も危険」「世界一治安が悪い」などと形容され続けてきた南アのヨハネスブルクのブースでは、ヨハネスお散歩ツアーを大々的に推していた。ヨハネスブルク市広報PRマネージャーのローラ氏も、熱い。

「ヨハネスブルクが危ないと人は言うが、危険な地域は極めて限定されています。人は、インターネットを見ただけで判断しがちです。ヨハネスブルクは危ない、アフリカは危ないというけれど、(総体として)それは事実ではありません。実際に訪ね、実際に見ることが、何よりも事実を知るための近道です。だから、ヨハネスブルクを歩き回っていただくのがいいんです。ビジネスも音楽も流行も、南アにあるものすべては、ヨハネスブルクから始まります。南アのすべてが、ここに集まっています」

悪評が広まってしまった他のアフリカの都市でも、このお散歩ツアーの手法は展開できると感じた。

南ア当局の心意気も、たいしたものだと思う。外側から見る限り、こと観光業において、南アがアフリカ全域を鳥瞰(ちょうかん)せねばならない動機付けは、それほど重いようには感じられないからだ。

そもそも、南アが携える観光資源は、56の国々を内包するアフリカの中でも圧倒的だ。ライオンや象といった野生動物と巡り会えるサファリがあり、風光明媚(めいび)な自然の景観がどこまでも続く。肉も魚も野菜も豊富に摂れる上、西欧と同じ調理方法を取るため外国人にも味わいやすい。南ア原産のワインも有名だ。気候は温順で穏やかなもの。暑いと感じるよりは涼しい気候が続く。

観光をする上でのインフラも極めて整っている。しゃれたホテルがどこにでもあり、上質なサービスが受けられる。安価な国内航空便が縦横に就航しているだけでなく、きれいに舗装された道路がどこまでも続いており、空の移動も陸の移動も安価で快適だ。これだけなにもかもがそろったアフリカの国は、南アを除いてはないだろう。放っておいても観光客は来るだろうとすら、私には感じられる。

しかし、そんな南アであっても、エボラウイルスが西アフリカにまん延した時期には観光客が激減した。南アからはるかかなたで起こった、南アには全く影響のないできごとでも、アフリカの外から見れば、アフリカはアフリカ。南アフリカ観光局の近藤氏は、「エボラの影響により、日本からの観光客は、ほぼゼロにまで落ちたと言っていい」と話す。

同氏はまた、「2010年のサッカーワールドカップ以来、“南アだけ”にならないよう気を配っている」とも話していた。自国だけのことを考えていては、自分ひとりも立っていられない。アフリカの中の南アであることを強く認識し、共生の道を常に意識していることを知り、私は胸が熱くなった。

先に開かれたトークセッションで、あなたたちはアフリカというブランドをそもそも愛しているのだろうかと質問した男性がいた。顔を覚えていた私は、後日会場内で彼を見つけ、アフリカの異なる国どうしが助けあうことの必要性を感じているかたずねた。ジャーナリストであり編集出版人でもあるナイジェリア人のオルワセイ・アデゴケ・アデイェモ氏は、こう答えた。

「もちろんです。アフリカの国境というのは、植物の細胞膜のようなもの。境目にはなっているものの、遮ることなくいいことも悪いことも通します。どこか一カ所で悪いことが起これば、いずれアフリカ全体に行き渡る。アフリカは一つの大陸です。だから、私たちは常にまとまって、それぞれの問題に対応し続ける必要があるのです」

オルワセイ氏からの問いに対する、登壇者からの返答が、強く印象に残っている。

「当然、その必要があります。アジアでも、ヨーロッパでも、(一つの大きな地域をまとめてブランディングすることを)実現したことはありません。言葉が違う。文化が違う。それでも、互いに認め合い、助け合う必要があります」

別の質問者から、ではその手法はと問われると、ハネコム氏は、少し顔を赤らめてこう答えた。「やってみるしかありません。ただ、やってみるしかないんです!」

答えなどわからない。まだ他のどのアフリカの国でも、他のどの大陸でもやったことなどないのだから。でも、やってみるしかない。私がハネコム氏の立場なら、きっと同じ返答をしたと思う。

INDABAの会期を終えたダーバンを後にし、私たちはドラケンスバーグ地方を訪ねた。私は、泊まったホテルで働く従業員のジョナス氏と仲良くなり、ホテルのバーで酒を交わしていた。よもやま話を続けるなかで、彼はぼそっと、こう言った。

「多様であることは、美しいことです」

この時に彼が意味したのが、南アの歴史を振り返ってのことなのか、アフリカ全体を鳥瞰してのことなのかは、私が酔っていたこともあって、わからない。ただいずれにせよ、多様であることは、確かに、美しい。

私は、「アフリカ」という観光ブランドの旗手として、南アはふさわしい国だと思う。今すぐに実現できなくたっていい。なにせ30年以上も続いている催しだ。少しずつじっくりと多様性を深めていった先に、さらなる美しい姿が見えることを、期待してやまない。

 

(初出:岩崎有一「なぜ南アフリカがアフリカ最大の観光見本市を開催するのか?/後編」アサヒカメラ.net 朝日新聞出版/公開年月日は本稿最上部に記載/筆者本人にて加筆修正して本サイトに転載)